ビジネスオーナー養成コンサルタント DC GROUP 代表 田渕裕哉 プロフィール
  • 田渕裕哉(たぶちひろや)1961年3月6日生まれ52歳4人の子供の父親。

  • 昭和58年3月 立教大学社会学部観光学科卒業。

  • ジャルパックとの合弁で日本コンベンションサービス潟Aメリカ法人立ち上げのため渡米ニューヨーク、ロサンゼルスなど計約3年間滞在。

  • その後、日興証券グループ、日興企業鞄社、法人営業課課長など約10年間勤務。

  • 2000年1月に独立し、有限会社ディーシー・グループ設立 代表取締役。

  • 特許の翻訳、アメリカでの特許申請業務を母体に、日本、アメリカでのマーケティングを手がける。

  • 現在、大手企業からの新規立ち上げ事業のコンサルティングも受け、起業コンサルタントとして活躍。

  • ディーディーアイ・ジャパン(株)の取締役(非常勤)、数社のマーケティング・アドバイザーとしても活躍。

  • 人間の生き方の信念を土台としたセミナー内容は多くの人の信頼を得ている。

講師のサクセスストーリー

 

私は約5年前、ある大手証券会社グループに勤めるサラリーマンでした。
朝早くから、夜遅くまで働いていました。
4人の子供がおりますが、子供たちが寝ているときに家を出て、帰ってきたときには、ほとんど子供たちは寝ていました。
幼稚園、小学校の授業参観と運動会は6年連続で出ることができませんでした。
子供たちにしてみれば当然、お父さんに見てもらいたいという気持ちがあったはずです。
一番の問題は、家族のために働いているのに、家族との時間をあまり取れず、特に、子供たちとの信頼関係をうまく築くことができないということでした。
心の距離を感じていました。

バブルのとき、土地つき一戸建てをローンで購入しました。みんなは家を建ててえらい!と言いますが、ほとんどローンですので私のものではありません。その日からローン地獄が始まりました。働いても働いても金利ばかりを返済して、元金が減らないのです。給料のすべては、生活費とローンで消えていきました。まさに、ローンの返済のために、毎日、朝から晩までゴールの見えない中を、走り続けていたのです。
それに加え、山一證券の自主廃業事件もあり、いつ会社がなくなるかもしれないという不安が常にありました。4人の子供と沢山のローン、そしてリストラ・失業の恐怖、私の心に安らぎは全くありませんでした。

今、思うと、山一證券の自主廃業事件は、私の人生の大きな転換期になりました。そのときから、私は起業を考え、単なる「お金」の成功だけでなく、「時間」も成功して、家族と過ごす時間を勝ち取ることができるように、ビジネスオーナーを目指しました。

それから約5年、

私は、今、毎朝、愛する妻と、ゆっくり自然を感じながら、散歩しています。
週に2回は、ジムに行って汗を流します。4人の子供たちとは、本当に親しくなれました。
子供たちのバスケットボールの試合を見に行くことが、私の最大の楽しみになっています。
今では、まったく働かないとしても、毎月の収入に心配することはありません。
ビジネスは義務感ではなく、大好きなのでやっているという状況です。

私は、この経験を皆さまに伝えることは「使命」であると思っています。